誰のために頑張るのか、問題

「誰のために頑張るのか、問題」が頭をぐるぐるしています

例えば、高校野球児が「監督や親のためにも頑張ります」と言ったり、「これまで応援してくれた周りの皆さんのためにも頑張りたい」と言うコメントを見ると、モヤモヤしてしまう時があります。

 

監督や親、周りのために頑張るって、本当なの?

それで、自分自身は本当に満たされのだろうか?

 

みたいなことを呟いたら、夫が

「監督や親のために頑張ってるわけではない。みんな自分のために頑張ってるんや。だけど、周りの雰囲気もあって言わされていたり、そっちの方が求められているってわかって、発言しているだけや」とのこと。

 

なるほどー。そうも考えられる。

監督や親、周りのために頑張るというストーリーは、 「己のためだけに頑張ります」というものよりも、確かに受け入れられやすくて、美しい。メディアも書きたがるし、読んだ方も感動する。みんな、そういうことは承知の上ということか。広報で何年も働いていたのに、自分は相変わらず疎いなあ。

 

と、思う一方。

 

やっぱり、「自分のためだけでなく、誰かのためにと思う時こそ本当に頑張れる」という考えも捨てきれない。自分のためだけに頑張るって、結構きつい。孤独との戦い。誰かのことを考えてその人と一緒に喜びたいからこそ、乗り越えることができたり、実力以上の力も発揮できてしまう時もある、とも思う。

 

「誰のために頑張るのか」とあえていう必要はないのかもしれない。

監督や親、支えてくれた人へは、感謝の気持ちがあれば十分に思う。

であれば、「何のために」頑張るのか、を明確にした方が健全なのかな

 

うーん、今は「何のために頑張るか、問題」が頭をぐるぐるしています。

子どものことを愛おしく感じる瞬間

子供のことを愛おしく感じる瞬間って色々あると思います。
だけどちゃんと記録しておかないと忘れてしまうので、メモしておきます。

 

・子供の中に自分と同じ癖や思考を見つけた時
例えば
本を読むときは読みやすいように表紙カバーを外しているのを見た時。
本を読む時間も楽しいけど本を探してる時が一番楽しいよねって言ってきた時。

うんうん、そうなんだ、そうなんだよねって。

自分が肯定された気持ちにもなるし、あー通じるーっ、やっぱり自分の子だー、て嬉しくなります。

 

・私の好きなことを息子も好きと言ってくれた時
例えば
ET や Back to the Futureネバーエンディングストーリーを見た時、私と 同じように興奮しているのを見た時
私がファンのイチローの最後の試合を東京ドームまで見に行きたいと言った時、私に負けじと自分も見たいと言ってきた時。

自分と同じことに関心を持ってもらえたら、それはやっぱりうれしい。こんなにうれしいもんだから、自分も子どもが好きなことに関心を持ちたい、お返ししたいって思える。だから、フォートナイトとかユーチューブのいろんな番組とか、最初はナニコレ?って思ってたけど、いろいろ教えてもらえるようになった。

 

昨日も米津玄師さんの「pale bule」MVを見ていたら、俺も見たいーと一緒に見る。

そしたら、「勿忘草」と似ているねと言う。
え?尾崎豊の?

 

確かに…なんか、形のない愛や恋の切なさが通じている…。

君、いつの時代の子?
そういえば、横溝正史も太陽に吠えろも、バカボンも好きだもんね。
私以上に昭和好きだよね。

やっぱり話が合うわー。

挨拶運動は本当に必要なのか?

息子たちが通う公立の小学校では定期的に挨拶キャンペーンが行われています。単に先生が正門前で挨拶を呼びかけるだけでなく、挨拶ができた子にはカードがもらえるような仕組みも導入されています。

 

まず思ったのは、

挨拶の目的って、カードをもらうことじゃないよね?

ということ。

そして、そんなことで挨拶が身につくって本気で思っているのだろうか?

という学校や先生に対する疑心。

 

こう感じるのは、私自身が挨拶運動に対していい印象を持っていないからかもしれません。小さい頃からみんなで同じことさせられるのが苦手。プレッシャーを感じて余計に言葉がでなくなってしまうようなところがありました。

 

さて、挨拶キャンぺーンのことを知ったのは、息子が「学校に行きたくない」と言い出したから。聞くと、こんなことを教えてくれました。

 

・挨拶キャンペーン期間中は先生に挨拶をしたらカードがもらえる

・お友達の中には、カード欲しさにカードを持っている先生の前では挨拶をして、持っていない先生にはしない子もいる。あいつらはずるい!

・休憩時間になるとわざわざ先生を探してカードをゲットして、それを自慢してくる子がいる。そんなのおかしい!

・これらの行動はルール上禁止されているのに、先生もカードを渡している

 

うちの子はこういう行為を見るのが嫌だそうです。さらに、自分は挨拶をしているのにカードがもらえないと怒ります。挨拶をしてもなぜか自分だけカードをもらえないというのです。結果、おかしい!自分は先生から嫌われている!学校なんか行きたくない!となったようでした。

 

もともと挨拶は元気にする子だったので、ここまで嫌がるのが意外。

私は朝、木陰からそっとキャンペーンの様子を覗きに行くことにしました。

 

すると、なるほど。

息子の言っていることがなんとなくわかりました。

 

朝の登校時間は大勢の子供達が一斉に校門を通ります。

先生の前を通るのもほんの数秒の出来事です。

先生は2人いらっしゃいますが、全員にカードを渡すのは物理的に無理があるような状況でした。

たまたま先生の近くを通った子はカードをもらいやすいですが、そうでなければ手が届きません。また、中には近くを通ってももらえていない子もいます。どうやら声の大きさなども問われているようでした。一方、めちゃくちゃ大きな声であいさつを叫んでいる子も。

カードが欲しい子たちは先生の前に列を作っていました。先生はもうカードをさばくのに必死という様子・・・。

 

うーん、なかなかカオスですよね。

 

と、うちの子もお友達と一緒に登校してきました。

先生に挨拶をしていますが、先生は他の子にカードを渡していて気づいてないよう。

カードはもらえていませんでした。

息子のいう、「自分は挨拶しているのにもらえない」というのはこういう状況もあったようです。

 

ここで私が感じたのは、

要領のよい子がカードを手にいれやすいな、ということ。

そして、このキャンペーン、本当に必要?ということです。

 

というのも、この挨拶カード、数も競い合っているのです。

息子によるとクラスでは、こんなことを言われるそうです。

「今日、クラスで一番カードの多かったお友達はは○○さんでした」

「今日まででカードが一番多く集まったのは◎組です。うちのクラスもがんばりましょう」

「今日、カード3枚もらった人は手を挙げてください?2枚の人は・・・?」

 

なんだか、“カード競争に勝ちましょう”と伝わってきちゃいますね。

 

仮に数を競い合わせることを前提にするのなら、カードをもらえる基準やルールを明確にして公平性を保たなければ、友達同士のいざこざにも発展しかねません。おそらく一定数いるであろう、挨拶が苦手な子への寄り添いも感じられませんでした。

デメリットの方が多くない??

 

私は正直に自分が感じたことを息子に話しました。

・挨拶キャンペーンでカードを配ることに対してお母さんはよいことだと感じていない。

・挨拶はカードをもらうためでなくて、お互いが気持ちよく過ごせるようにするためのものだから、カードの数は関係がない。

・君がこの挨拶キャンペーンに感じている不公平さや不満もとても理解できる。

・君はちゃんと挨拶ができていたし、挨拶しようと努力していることも知っている。

 

その上でだけど、これは君がどうしたいか決めたらいいことだけど、一つ提案がある。

・君がカードをもらえないのは、挨拶ができていないからでもなく、先生から嫌われているからでもなく、単に、カードをもらえるタイミングでないからだと思う。

・もしカードがほしいと思うのなら、カードがもらいやすい体勢をとればいい。例えば、先生の前に並ぶとか、挨拶をしてしばらくその場にとどまって先生がカードを配るまで待つとか。そういう方法もあるよ。

 

息子の反応はというと…。

・そんなことするぐらいやったら0枚でいい!

・俺はカードが欲しいわけちゃうんや!

とのこと。

 

 

そして、数日後。翌日がキャンぺーン終了日という日。

「まだカードが0枚の人は、1枚は手に入れてくださいね」と言われたそう。

 

そう、その時点で息子は0枚。クラスには2人だけだったらしいです。

息子はもうプンプン怒っています。さあ、明日はいったいどうするのかな。

子どもの大切な用紙を洗濯機で回したら、子どもの神対応

先日のこと。


長男の通う小学校では、コロナ禍で体温を記入した健康チェックカードを毎朝、提出するルールがある。長男は忘れないように用紙を毎日、シャカパン(※防寒用にはくズボン)のポケットに入れて登校することにした。一度、用紙をなくしかけたので、自分なりに考えたのだ。

そんな時、事件は起きた。ある週末の朝、

長男「いつものところにシャカパンがないけど、知らん?」

私「ああ、洗濯機にかけたよ」

という言葉が終わらないうちに、私たち2人は同時に顔を見合わせた

「健康チェックカード‼」

 

急いで洗濯機の中からズボンを取り出し、ポケットの中を探る。最悪のことを想像して手先がかじかむ。幸い、ポケットには蓋がついていたので、ボロボロは免れたが、四つに折り畳まれた紙はびしょびしょに濡れ字もにじんでいる。

 

絶望する長男。

私は平謝りして、机の上にそっとおいて、紙を広げようとする。しかし、無理やり引っ張ると破れそうになる。そのたびに長男の顔が曇る。

 

相変わらず、”やらかし母である

 

長男「なんで洗濯機かけんねん、いつもかけてないやろう」
母「ごめん。今日に限って天気がいいから、思わず洗っちゃってん」
長男「ここに紙入れてんの知ってるやろ」
母「うん、すっかり忘れてた、ごめん」

 

この用紙は彼にとって面倒でもあり、大切なものなのだ。毎朝、先生に見せないと教室に入れない。以前なら、わめいたり、私を責めたりしていたかもしれない。私も覚悟した。

けれど、最近の長男は違った。

すぐにどうすればいいか切り替えた。

「大事なのはこの部分。ここが見えたら大丈夫や」


私が先生に本当のこと話すから、新しい用紙をもらったらというと、「それは最終手段や」といって、まずは乾かすことにした。

 

実はこの日、予約していた病院にも行かなければならなかった。

これも以前の長男なら、こんな気持ちのまま出かける気分にはなれずにボイコットしていたと思う。

 

でも、

「もう、病院に行く時間が迫ってるから、早く行こう」と言い、
それ以降、私には愚痴も何も言わない。

 

私は正直、責められずにほっとした。

同時に、もっと私、長男に恥ずかしくないようにしっかりしなきゃと感じた。

 

最近、長男の振る舞いを見ていると、私もこんな風に言動が取れたらいいなと感じることが増えた。子供から学ばせてもらうことがたくさんある。


病院から帰ってくると、用紙は完全に乾いていて、大事な部分も復活していた。

「これならいけるわ!ちょっとセロハンテープ貼って補強しとこ」

 

どこまでも長男に救われた一件でした。

息子からどきっとする指摘①「あぶない!」

「あぶない!」

 

先日、7歳の息子からある指摘を受けました。

「お母さん、俺にあぶないっていわないで!」

 

私は、息子がこけそうになった時や、椅子から落ちそうになった時、とっさに「あぶない!」と叫んでしまいます。皆さんもそんな時ありませせんか?

 

私は、皆もそういうものだろうと思っていました。ところが、そうでもないようだったのです。言われた方からしたら、全く異なってたいのです…。

 

息子は私から「あぶない!」と言われるたびに、自分のことを非難されていると感じていたというのです。というのも、「あぶない!」という言葉は、息子がこけた後に息子の耳に届いていたのです。

私が目で状況を確認してから「あぶない!」と口に出すまでに、数秒の時間がかかっており、実際はすでにこけたり、落ちたりした後だったのです。

 

これを聞いて私はびっくり。

そんな時間差、考えたこと一度もなかったー。

 

でも、言われてみたら確かにその通り。もう手遅れな状況なのに、「あぶない!」と叫ばれては、自分のしたことを大声でとがめられている気分になりますよね…。

私が彼に向って「あぶない!」と叫ぶと、なぜむすっとしていたのか。その理由がようやくわかりました。

 

では、私は何といえばよかったのだろう??

息子がいった一言は

「”大丈夫?”やろ」

 

そうか!その通りだ!

こけたり、椅子から落ちてしまったら、かけてほしい言葉は「大丈夫?」だったんですね!

 

つい癖で「あぶない!」と叫んでしまいそうになるのですが、これからはこの言葉をもう少し慎重に使おうと思ったのでした。

子供との時間と仕事とのバランスを考える

今日は次男の友達が泊まりに来ています。
長男も含めて3人で今楽しくゲームをしています。
でももうすぐ10時!
なのでやめさせてトランプゲームをします。
10時半には寝ます。どうか寝てくれますように!

この一週間は取材も毎日ありましたが、なんとか子供達の帰宅時間やお迎えには間に合って帰ることができ、在宅時間にもなんとかマネジメントして原稿をある程度形づくることができました。
先週はバタバタだったので、やりきった割りには充実感があまりありませんでした。
今週は、充実感と満足感があります。
やはり子供と関わる時間と仕事のバランスは、私には重要なのだと思いました。

書いてみて思ったのですが、子供との関わりを語る時、時間(ボリューム)と質という二つの視点があると思います。ワーママは、どうしても子供と接する時間が限られるので一緒にいる時の質を大切にするようによく言われます。子供とちゃんと会話をしたり向き合っていれば、時間が短くても子供は素直に育つよということなのでしょう。
でも、そういう質の高い時間を持つには、ママ自身にもゆとりが必要です。
スーパーマンじゃないもんなー。

もう少し思考を整理して書きたかったのですが、10時になってしまったのでトランプをしに行ってきます!

火をつける

今日は高槻の総持寺にある総合病院に取材にいかしていただきました。

病院の院長を取材するというはじめてのスタイルで緊張して行きましたが、先生はとても気さくな方でいろいろな話をお伺いすることができました。

取材の趣旨としては病院の特徴や強みなどを具体的に読者に伝えなければならないのですが、取材が盛り上がってしまい先生のアメリカ留学時代の失敗談や恩師との確執、そしてその後の和解など個人的なエピソードにも話が広がってしまい、まとめるのに少々工夫が必要そう。

あー、まだまだ技量不足だなあ。

 

印象的だったのは、今では大学病院と並ぶほどの医師を集めたり設備を整え、かかりつけ医と大病院をつなぐ地域の中核的な存在であるこの総合病院のもともとの始まりが、小さな小児科だったと言うことです。

そこから地域のニーズを捉え事業を拡大し、拡大しながらも急性医療と言う強みに特化していった経緯です。そこには凄まじい信念や行動力がなくてはできないと思うのですがらでも目の前にいるこの人は、とても温和で普通な感じだ想像が難しいのです。

 

 

もう一つは、若手の医師を育てることに注力していると言うこと。そしてその方法としては手取り足取り教えるのではなく、若い研修医の火をつけて歩きまわっていると言うことでした。若者たちが寝る間も惜しむ位、学びたくなるような環境を与える。そしてバックアップ体制をとる。そして、ちょっとけしかける。そういうことをすると勝手に学び成長していく。と。

子育てにも通じることだなあ。私も自分の子供たちや周りのお友達などにもおせっかいにならない程度で火をつけれるようなかっこいい大人になりたいなと思いました。

「今日のTHANKS!」

おやすみ前のGood&Newsに味をしめて

 

kazekahoru.hatenablog.com

 「今日のTHANKS!」も引き続き行うこともあります。今日、感謝したことを言い合います。主には家族のことです。

 

例えば

「今日は、長男が私にありがとうっていってくれてうれしかった」「次男が食器の片づけを自分からしてくれて助かった、ありがとう」など。互いの関係で相手がしてくれてよかったことなど感謝の気持ちを言い合います。これは、まだ子供が言うのは難しいみたいで、主に私が2人の子どもに感謝の気持ちを伝えています。時々、私の言い方をまねて子どももいってくれますが、ふざけることが多いかな。

 

強要せず楽しくできればいいので緩くしています。

よく小学校でも終わりの会でありますよね。お友達のよかったことを発表しあうの。私、個人的には発表するのが恥ずかしかったり、自分がいわれなかったら残念に感じたりするので、苦手だったのですが、案外よい取り組みなのかもしれません。(強制的になってなければ^^)

 

 

 

今日のGood&News

今日のGood&News!

 

我が家の子どもとの習慣でいいなと思うものの一つ、

今日のGood&News!

 

夜、子ども達と川の字になって寝る時に、

今日のよかったこと、もしくは何か新しいきづきやニュースを発表し合うというものです。

 

例えば、こんなふう。

・今日はゲームで3位になった(兄)

・学校で席替えをしていい席になった(弟)

・今日は晩御飯を上手につくれた(私)

 

これだけ言うのにも結構、時間かかります。

「何もいいことなかったわー」から始まり、それでも一生懸命、朝からの出来事を思い出して、見つけます。見つけられない時は私が助けることもあります。

「今日も遅刻せずに学校に行けたやん!」というと、

「そんなこと当たり前やー」と返ってきます。

でも遅刻せず、毎日学校行くってすごいと思うよーと話したり。

「実はお母さんは高校生の時、結構遅刻魔だった」ことを告白したり、

結構盛り上がります。

 

毎日できているわけでなく、忘れることもありますが、週に4回以上はやっています。

習慣化して2年ぐらいかな?

 

楽しい気分で眠りにつけますし、メタ認知機能をあげる訓練にもつながります!

このGood&News!は、毎月1回のストレングスファインダーの勉強会に参加していた時に経験したもの。毎回、参加者が1カ月間のGood&News!を1分程度で紹介し合います。職業も背景もさまざまなメンバーが発表するそれぞれのGood&News!は、「へー、そんな視点があるんだ」「それがこの人にとっては大切なことなんだ」と、互いのことをよく理解でき、そして他人と比較して自分のこともよく知れる機会だったのです。

それで、我が家でも取り入れてみようと思ったのでした。

 

ある夜、私がもう寝ようとすると息子が

「今日、Good&News!せえへんの?」と言ってきました。

「今日のGood&News!で絶対言おうと思っていたことあんねん!と。

わー、息子の中でもよい時間となっているんだと!と思わずにんまりした瞬間でした。

ぜひお試しください^^

反省!

ブログを書くのが正月休みから滞っていました。休みが入るとリズムが狂う。その後も自分やこどもの体調不良があったり、仕事がたまったり。書くことは思考の整理になるし、気持ちの吐き出しにもなる。この1か月ほどは書かなかったからか日々の振り返りや気づきが減って、生活自体はのりきったけれど内省的な達成感や充実感は低かったように思う。

 

スケジュール帳を毎日開くこと

その日の気づきを記録すること

それを誰かにつたえること

 

やっぱり必要ですね。駆け足せずにやっていこう。

10の小さな変化

1、私は、書斎部屋を片付けて、入るたびに幸せな気分になりたい

2、私は、年末までにシェイプアップして、体型に自信を持ちたい

3、私は、取材の時に自然といろいろなことを聞き出せるようになりたい

4、私は、3時間以内には1つの記事を書き終えたい。

5、私は、キッチンをプチリフォームして、台所にいる時にテンションを上げたい。

6、私は、子供の宿題を見る時に穏やかになりたい

7、私は、人と話す時にわかりやすく話せるようになりたい

8、私は、いつも髪型をきれいにセットして、幸せな気分で過ごしたい

9、私は、モノを減らして片付けにかかる時間を減らして、リラックスできる時間を増やしたい

10、私は、毎日を振り返る習慣をもって、今の状態に感謝したい。

高い学童保育費をどうする?

メリークリスマスイブ!

長男が朝、学童保育に行くことに対してため息をついていたので、どうしたのか尋ねてみると…

 

「よりによってこんな日に、学童に行かないとあかんなんて」

え?どういうこと?

「今日ってあれやろ、ほら?」

え?

「なんとかイブとかいうやう」

あー、はいはいはいはい。

 

クリスマスイブという浮かれた日に学童保育でお勉強やら習い事やらするのは嫌なのね。なんて、かわいい10歳男児

 

ふんふんふんふん、よくわかるよー。でもさ、君の行っている学童保育、高いからなー、当日欠席はお金戻ってこないんだよねー。今日あるっていうことは前からわかってたしなー。え?今日あるって忘れた?あー、そうだよねー、最近すでにクリスマスモードだったもんねー。

 

今日は私も在宅で仕事をしているので、家に帰ってくることもできるのですが、いやはや、親としては出費がいたい。(え?そこじゃない?ちゃんと決まってるのは行かさないとだめ?)在宅の仕事になったので高級学童保育を続けている意味がほとんどないのですが、

学童保育でしている習い事をやめたくない

・お友達との関わりが楽しい

と言う理由で週一だけ続けています。

それでも送迎バスなど込々で月3万もかかっています!!!

 

とりあえず、今日はご本人の意思にお任せしました。

私だってこんな日は仕事したくない、家事したくない、

ゆっくりしたいよーって気分になっちゃいますからね。

 

たぶん、帰ってくるだろうな。

起業、失敗上等!

2020年は起業に向けて一歩踏み出す!

①起業セミナーを探す

②起業している人を見つけて話を聞く

③具体的なプランを立てる

3年以内に起業に挑戦。失敗上等!やらなきゃ何も変わらない!

 

と、この間までブックライターをめざそうと思っていたのですが、いきなり起業話。いや、ライターとしてもさらに成功を目指していきますが、同時に起業マインドもぶつけていきたいと思います。

 

起業しないまま起業の勉強ばっかりしているのは、

料理教室に通ってるのにいつまでも母親にご飯を作ってもらっているのと一緒!

 

実践して、失敗して、フィードバックもらってまた実践していかなきゃ料理はうまくなりません!100万円もする料理教室通ったって料理はうまくなりません。高額セミナーに行かずともできることはたくさんある!

 

本日受講のセミナーに感化された薫風でしたー。

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