なぜ私がリンゴを切らないといけないのか
先日、とてもふとしたことから
ムムム!?と思ったことがありました。
ある夕方。夫と子供は家にいて、私が外出先から帰宅。夕食後に皆で出かける予定がありすぐご飯の支度にとりかかり、皆でいただきます!からのごちそうさま。ここまでは良かったのです。
最後に、夫が、「りんご切って」と言いました。
いつもなら、「はーい」となんでもないことなのですが、
なぜかこの日は「ムムム!?」「なんで私が?」「食べたい人が切ればいいやん」「一応、私の役目は果たしたし」「私がリンゴ切りして当たり前と思っている?」と心の声が出るわ出るわ。
で、
「私、まだ食べ終わってないし、後片付けもあるし、自分で切って」と言いました。
すると、
夫「たのむわ。俺、りんご切るの苦手やし」
私「私も苦手やし。食べたい人が切ったらいいやん」
夫「頼むわー」
私「嫌やー」
と言っている間に夫は違う部屋へと消えて行ってしまいました。
今度は私は声に出して言いました。子ども達に尋ねました。
「りんご切るのってママの役目やと思う?パパも切れるよなー。っていうか、君らでも切れれるよね」「食べたい人が切ったらいいのにね」「苦手やからしなくていいのってーうらやましーなー。ママなんか家事料理苦手やのに、毎日してるわ」「ママは後片付けもしているし、ご飯も作ったし、ママだってゆっくりしたいし、してもいいよね」「なんか最近、ママばっかり家の仕事してない?」「君らも将来結構したら、奥さんにりんご切ってーて頼むんかな?むしろ奥さんにりんご切ってあげてほしいわ。そこ大事やと思うで」とかとか。
子供は「はいはい」と言っていましたが、最後に次男が
「それやったら俺が切ったるわ。俺、得意やから」「まな板とリンゴ持って来て」と言うのです。
私はびっくりして、
「ほんまー?!ありがとう!そんなこと言ってくれるなんてむっちゃうれしいー」
次男、リンゴ剥き器でしこしこやって、「こんなに長く切れたー」とかいいながらやってくれています。とうとう綺麗に剥けたので
「パパ、りんご切ったでー」とパパを呼びました。
夫は「おー、ありがとう」と言って戻ってきました。
と、話はここまで。特にオチも何にもありません。
でも、なぜ私がこんなに引っかかってしまったんでしょう??余裕がなかったから?いつもは意識してなくてもやっぱり内心はいやいや家事をやっているから?急に人格変わったみたいになっちゃいましたよ。でも以前の私は、しょっちゅうこんな感じで腹立てていたんですよね。元に戻っったことはこれが、本来の素の私なのか?いつも無理しすぎてた?
りんごを切ってほしいって誰だって思うよね。私だって切ってほしいよ。だれかが切って持ってきてくれたら、今ならそれだけで惚れるぐらい喜んじゃうし、感謝するし、嬉しいよ。そういう気づかいの積み重ねがよい関係性につながると思って、自分がしてもらって嬉しいことは、出来る時はしてあげようって改心したんだよ、数年前に。そしたら、やっぱりうまく行きだしたんだよね。こちらがギブするとそれが小さなものでも、小さな感謝とか喜びが相手にも生まれて、なんとなく優しい空気が生まれて、次第に親切が循環していくというか。長ーくゆったりだけど。
だけど、この日はプッツン来てしまったのでした。この日は母の手術の日だったから、ちょっと緊張していたのかもしれない。そして、帰宅後は大切な友達の旦那さんのお通夜の予定もあったから、そのことで心が動揺していた可能性もある。そんな心の状況がプッツンを呼んじゃったのかな?プッツンといっても怒鳴ったり切れたりしたわけではなく、ムムムのモヤモヤを声に出しただけで済んだけど。
だけど根底には「なんで私が?」病気がありそうだ。