相手を傷つける言葉とは

前回のブログで、以前に私が励ましの言葉をかけられて、傷ついてしまったことを書きました。

 

kazekahoru.hatenablog.com

 

なぜその時のことを思い出したかというと、友人と話していてこんなことを聞いたから。

 

「これまで一生懸命療育をしてきて、やっと保育園に入ることができた。保育園に通うこと自体が最高の療育になると思ってやってきた。だからしばらくは保育園に慣れるのを優先して療育はやすませたいと考えていたら、ある保育士さんから、保育園に通っても療育は大事だから続けてあげるべきと言われたとき、心が壊れそうになった。この1回しか会ったことのない保育士さんに何が分かる?」と。

 

とても考えさせられる体験話でした。

友人が必死の思いで取り組んできた期間があり、その中で母親として我が子にどんな風に過ごしてほしいか考え抜いて辿り着いた答えがあった。それなのに、煮えくり返るような思いをさせた言葉は、一見正しいと思われる言葉でした。

そう、療育を続けることはもしかしたら必要かもしれないし正しいのかもしれない。だけどその時にかける言葉ではなかった。そこには想像力が欠如していたのだと思います。目の前のことやその先については見えていたかもしれないけれど、そこにたどり着くまでの道のりを想像して寄り添えなかった。そのことで、言葉や本当に剣のようになってしまうのだなと感じました。

 

くり返しになりますが、きっと私もこれまで何万回も同じように誰かを傷つける言葉を無意識に口にしてきたことだと思います。そのことを謝って反省して今後はもっともっと想像力を使って言葉を使いたいと思いました。

特に家族に関してはつい上からアドバイスしたりしがち。でも本当に大切で伝えたいことなら、それを伝えるタイミングや環境、相手の心の状況まで考えて伝えるべきですよね。そして待つことで、相手が自分で心や頭の中を整理して自分の選択を信じて行えるようになるし、そうなったらもう私のアドバイスは不要になる。相手を受容するということ。これはずっと親業でも勉強していることですが、友人の話を聞いてまた深く理解することができました。

 

また、逆にこのように外的な言葉がけから、落ち込んでしまうこともあると思います。その時は、自分を信じること!とも思いました。特に子どものことに対しては母親は直感を働かすことができると感じています。子どものことを観察し、見守り、聞いていれば、今どんな状態なのか、どんな助けが一番必要なのか、無理できるのかできないのか。正しい正しくない関係なく、これができるようになることが母親として一番大切だと思うぐらいです。

 

 

 

 

 

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