生まれる、育てるということ

昨日、ある友人と会っていて話して感じたことを。

 

人が生まれてくるということ。そして育てるということ。

私は5カ月の赤ちゃんがお腹の中で心拍停止になったことがあります。突然のことでパニックになりました。後の検査で染色体異常でターナー症候群の女の子であったことが分かりました。この場合、流産することがほとんで生まれてくる確率は2500人に1人ぐらいだと言われました。低身長など身体の特徴があるそうです。

 

当時私は、流産してしまったことに対して自分をずっと責めていました。私の健康管理がいけなかったのだと思いました。また、暑い夏の時で、夏祭りに行ったときにかき氷をたくさん食べてしまいました。それでお腹が冷えて赤ちゃんの心臓を止めてしまったのだと思っていました。後から計算すると心拍が止まったのはちょうどその時期と重なっていたのです。あの時、どうして食べてしまったのだろう、と。私はなんてことをしてしまったんだろう。他にも電車やバスに乗ったのが悪かったのかもしれない、こどもを抱っこしたのもダメだったのかもしれないと、いろいろなことで責めていました。

 

先生からの説明を受けて、私の行動が直接の原因ではなくてこの子はそうなる運命だったのだということを知りました。それでも私のために5カ月すぎまで元気な姿を見せてくれたのだと。そしてまた、私のために生まれてくることはなかったのかもしれないと。私は説明を聞いたとき、自分にその子をちゃんと育てることができたのだろうかと思いました。ハンディキャップを抱えた子を幸せに育てることができるのか。自分にはとても無理なような気がしました。将来のことを考えて悲しみでいっぱいになってしまいそうでした。恐怖でした。まだ私にはその子を育てる十分な準備ができていないことをその子にみすかされたような気がしました。

 

その子とは不思議なつながりがありました。2人目が欲しくてほしくて毎回、妊娠検査薬でチェックしてはため息をついていた時。ふっと、今お腹に来たという感覚がありました。その時、長男が和室で遊んでいて、目が合ってにっこりわらったのを覚えています。そうしたら妊娠していました。

そして、3か月ごろ、長男と保育園に行く道中、長男が誰もいないのに手をふったり話したりしていました。「何してるのー」と聞くと、「●●ちゃんと遊んでいる」と言います。ちょこちょこ●●ちゃんが長男の後をついてくるようです。あ、それ、お腹の中の赤ちゃんだ!となぜか私は思いました。それで、私も一緒に歩いているような気分を楽しんでいました。それからよく●●ちゃんは私達の周りにいました。

 

ところがある日、長男が「今日は●●ちゃんいないなあ」と言いました。私は「へーどうしたんだろうね」と特に気にもとめずに過ごしていました。でも、それから2週間後ほどした検診の時に心拍停止のことを知ります。赤ちゃんの大きさから止まったのは、先ほどの夏祭りの頃で、●●ちゃんの姿が見えなくなったのはその翌日の朝のことでした。

 

私はその子のことを長男に教えてもらった●●ちゃんと今でも呼んでいます。なくなってから、ある道を歩いていると太陽が葉っぱの間からもれてキラキラしたことがあります。その時、長男が「あ、今●●ちゃんがきた!」と教えてくれました。そんなことが2、3回ありましたが、もうそれ以上はありませんでした。何度か、長男に「●●ちゃんいない?」と聞きましたが、「いない」というのでそれ以上聞くのもやめました。長男もしんどかったでしょう、悪いことをしてしまいました。もうお別れしたんだなと思いました。

 

しばらくつらくて周りで小さいお子さんを連れている親子を直視することができませんでした。仕事中も休み時間など楽しい話に入ることがなかなかできませんでした。思い出しては泣いていました。

 

見るに見かねたのかもしれません。

「いつまでもそんなこと気にしていてもしょうがないですよ」「きっとまたすぐ妊娠しますよ」といってくれる職場の人がいました。

その言葉に呆然としてしまいました。そんなことではないですし、たとえ妊娠してもその子は戻ってきません。何も言い返せずボーとしていたと思いますが、その言葉がどんどん頭の中でふくらんでつらかったのを思い出しました。

 

今となってはその人のその言葉に何の罪もなく、私のことを心配して励ましてくれたのでしょう。私よりも若いのに精いっぱい想像して気遣ってくれたのだと感謝しています。でも、当時の私には一番ショックな言葉でもありました。周りはそういうもので、自分だけが取り残されているように感じたのかもしれません。

そして、きっと自分もこれまでそんな言葉をたくさんの人になげかけてきていたかもしれないと思います。何気なく、深く考えず、でもその人にとっては深く刺さるような言葉というのを私もきっとたくさんしてきたんだろうなと思います。

 

その1年後、次男を授かることができました。長かったです。次男を授かってようやく●●ちゃんのことで自分を責めないようになったように思いました。生まれ変わり。そんな風に思ってはだめだとは思いましたが、そう思うことでしっかりできました。また、次男が生まれたのは東日本大震災の翌翌年。1日違いです。この震災でたくさんの子どもの命も奪われました。私はこの日に生まれてきたのは何か、そんな子たちの思いも一緒にあるように感じました。自分の子というより、本当に神様から授かった子というような感じでした。だから子育て期間の間だけ私が育てさせてもらって、立派になったらまた社会に還す。変な感覚ですが、そんな感覚を一瞬感じたのを覚えています。

 

昨日あった友人は、ある症状をもって生まれてきた赤ちゃんのお母さんでもありました。今、健康で笑って側にいてくれている。そのことにどれだけ感謝しているか。ただただ、存在が愛おしくかわいらしい。そのことを改めて教えてもらいました。

 

今日は今までかけななったことを書きました。私もだんだんあの時のことを忘れてしまっています。当時はその時の気持ちをなにかに書き留めるのはつらすぎてできませんでした。今は、時々思い出すぐらいです。今思い出すのは、太陽がキラキラ光るような●●ちゃんの笑顔です。2人の兄弟をお空から見守ってくれいる●●ちゃんの姿です。

 

 

 

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